基本、大の臆病者だ。
これって生まれつきなんだっけ、と記憶を遡ると決まって思い出す2つのシーンがある。
1つは小学生の頃のクラブ活動。
仲の良かった女友達が「演劇クラブ」に入るというので、流れで自分もそのクラブに入った。
思えばその理由も、演劇がやりたかったわけではなくて、基本人見知りの私なので、友達が1人でもいるクラブのほうがやりやすいだろう、という”誰かと一緒”が判断基準になっていたような気がする。
そしてその女友達は途中、転校していき、あとなんだか忘れたが数人また転校だか退部だかをし、超少数精鋭(精鋭・・・?)で全校生徒の前で月に1度劇を披露することになるわけだ。とくに演劇に思い入れのない私が、取り残され、なぜか全校生徒の前で昔ばなしを張り切って演じる。その集会のあと、片付けをして教室に戻るのだが、その頃には他の生徒は皆教室に戻りきっているため、1人遅れて(あの大演技のあとに)教室に入るときには下を向いて、目立たないようにスッと席についた。自意識過剰だが、とにかくすごく恥ずかしかった記憶がある。
2つ目は、中学校の部活動。
私は仲の良かった3人の女友達に誘われて、放送部に入った。
しばらくするとそのうち1人は転校し、のこりの2人は双子だったのだが、違う部活へ転部した。つまりまた、私1人とひよこのような下級生だけが取り残されることになった。デジャヴだ。
当時の花形スポーツ部なんてのは何十名もいる大所帯で、新入生が入ると「部活動紹介」の日程が組まれ、体育館で各部活3分程度をもらい、おのおの部活動紹介を新入生に行う。バスケ部などはうしろでバスケの技やパスの送り合いを十名ほどのサポートメンバーが実演し、その前で部長がマイクで説明を行う。見事な演出だ。
一方、我々放送部の番になると、これまたスッ・・・と私(部長)と下級生の計4名(全部員でこの4名だった)がカルガモの親子のように新入生の前に現れ、毎年この部活動紹介で放送部の出し物の伝統となっていた「発声練習」をして、そして去っていった。
シン・・・とした体育館に響く「あ!え!い!う!え!お!あ!お! か!け!き!く!け!こ!か!こ!・・・」の発声練習。
いつもこの2つのシーンをそれから20年ちかく経った今でも、思い出す。
部員が少なくて、恥ずかしかった。
やってること(演劇や放送)に自信がなくて(そう、だって他人に誘われて入っているから)、恥ずかしかった。
そんな記憶がいつも残っている。
社会人になって、新卒の会社ではこれまたマイノリティな新設部署に配属された。
え、こういう運命なの・・・・?と自分の「マイノリティ引き寄せの力」にうなされた。
一方で、大学時代は人数には制限があったが所謂 “花形”のゼミに合格し、居心地が良かった。
○○ゼミです、と言えば「ああ!○○先生のとこ!すごいね」と言われた。
「部活は?」「・・・放送部、です」と弱々しく答えた自分を上書きするような気持ちになった。
転職していわゆる名の知れた大きな企業に入った。
社内での部署がどうあれ、世に出て自己紹介で社名を述べるとすぐに理解され、マジョリティでいることの過ごしやすさや、自己紹介で己の所属を伝えることに躊躇しなくて済むストレスフリーな感情をほんのり感じた。
趣味で、とある韓国のアイドルグループを好きになった。
当時そのグループは韓国でトップクラスの人気で、ファンの数が多かった。居心地が良かった。
明らかに当時でいえば、最大のファンダムの中に属していることになったし・そのグループのファンです、と言うことは自分の名刺の1つのような気がした。
そんななかでいくつかのスキャンダルや諸事情で、ファンのこころが揺れる瞬間があった。
私はそれ自体(熱愛や脱退など)へのショックももちろんあったが、それによって「マジョリティ」がマジョリティじゃなくなってしまうことがすごく怖くて、ストレスだったように思った。ファンが減れば、「え?○○のことまだ好きな人たちいたんだ」の枠に入ってしまうじゃないか!と、自分自身の落ちぶれ、のような気がして心が落ち着かなかった。
そんな気持ちになるたび、私はどれだけマジョリティへ属することの執着がすごいのだ、と呆れることがある。
これからも私は、気づけばマイノリティの一員、という引き寄せの力を発揮して生きていく、マジョリティへ憧れる女で有り続けるのだろう。