10.空港への道

 

今、心配しなくてもいいことは、むやみに心配したくない。
日々そう思う反面、どうしても両親の「老い」に関してはふとした時間に想像をしては、感傷的になる。

 

その材料のひとつに、実家へ帰省した際の移動時間が挙げられる。

 

熊本空港というのは、わりかしどこからも近くない辺鄙な場所にあり、電車もなければ長い長い直線の道路だけが市内へのルートとなっており、空港に着いたとて実家や目的地に向かうためには空港シャトルバスを使うほかない。たいていは、実家が熊本なのであれば、車で送り迎えしてもらうことがメイン。

 

私はというと、毎回、母が送ってくれるし、迎えに来てくれる。
シャトルバスへ並ぶ行列を「大変そうだな」と横目に見ながら、母の運転してきた小さな車に乗り込む。
家から車で20-30分の場所だが、なんとなく夜道を一人で運転させるのは心配になってしまうので、帰りの便は遅くとも夕方までのものをとることにしている。

 

家までの、もしくは家から空港までの長い直線を母とドライブしているといつも考える。

毎年、私が実家に帰省するタイミングがこの年末年始しかないとすれば。
母は(父も)今、65歳を過ぎた。何歳まで、運転するのだろう。
今は当たり前のように送り迎えしてもらってるが、あと10回ほど実家へ帰省するうちに、もう母が運転して空港まで向かえない・そんな日(年)もやってくるんだろうな。

たった10回ほどのうちに。
あれ、となると健康体の両親にはあと10回ほどしか会えないのかな、なんて、考える。

母の運転する車から、見慣れた風景を見ながら思う。

「いつか、わたしはこの道をバスで進むのか」

 

離れて過ごす360日ほどを経て、故郷の空港へ降り立つと 到着口に、寒さに弱い 着込んだ母がいる。これだけで「今年は、大丈夫だった」とありがたくなる。

 

今、心配しなくてもいいことは、むやみに心配したくない。

でも、空港で母に迎えられ、見送られる時間はたった数分でも大事にしたい、そんなことを思うのだった。

 

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