たとえば 昨日-今日あたりが、そんな日と言えるだろう。
脳が警笛を鳴らすときがある。
お前、今、倫理観がどマイナスだぞ、クズ中のクズだぞ、頭の中で通り魔してるぞ、と。
他人のハッピーニュースに喜べない、むしろ苛立って、“なにか”起これ、と呪いをかける。視界に入る人間が全員自分より下等生物に見えて殴る蹴るを繰り出して道を歩き倒したくなる。優しいヤツもむかつく、むかつくヤツはころす。苛立って帰宅してアレクサに電気をつけろと強い口調で言うが聞き取れずうんともすんとも言わない小さな筐体を鉄バット(持ってない)で叩き壊したくなる。狭い道をにこにこ手をつないで子供の速度で歩く親子に背後から舌打ちをしたくなる。
そんなことを、頭の中で自分が主人公の人間底辺犯罪絵図を繰り広げる自分が、惨めでおぞましくて、悔しくて、爆発しそうになる。そんな日が増えた。
昨夜の私はもう噴火でもしそうなくらい自暴自棄になり、まさにLINEに届いた地元の旧友の嬉しい知らせに死んだ目をして天井を眺めていた。スマホがブルブル震える。グループLINEに投じられたそのニュースに他のメンバーがこぞって祝いのコメントを送るから その通知が鬼のように虚無の空間にバイブ音を鳴らした。
その祝杯のグループに一撃必殺(いろんな意味で)(グループの空気も死ぬし、私の交友関係も死ぬ)の爆撃トークを意識の無い状態で投げ込む前に、なけなしの理性と倫理観を総動員し「おめでとう!!」と一言だけ投下して去った。前後の会話は読んでいない。
まさにこの文章を書いている今も、現在進行形で副業の取引先から謎のキレを食らい、端的に言うと契約切ると言われて泣きっ面に蜂とはこのことだななどと思いながら、またもや死んだ目で、脳内でこれ以上虐殺を繰り返さぬよう、心情を活字にあわらして吐くというすべでもって、深い泥沼に沈まないよう無駄なバタ足をしているのだ。
今日は、部屋の掃除と自炊をした。
読みたてのオードリー若林氏のエッセイにこんな言葉があったからだ。
「ネガティブを忘れさせるのはポジティブではない、没頭だ」
昨夜の苛立ちと肌の乾燥が酷く、今日は一年ぶりくらいにフェイシャルエステに行って自分を癒そうと思ったのだが、施術中、顔のマッサージ気持ちいなあと思うその脳で永遠に未解決の昨夜の感情と戦っていた。顔はつるつるのぺかぺかになったが、逆にたっぷり60分、泥の感情を考えに考える時間を自分に与えてしまった。
ネガティブを忘れさせるのはポジティブでもなければ、リラクゼーションでもないようだ、と頭の中でブツブツ繰り返し、「没頭して忘れさせねば」と思い掃除をして、料理をした。たしかにその最中はネガティブや泥の感情を忘れることができたが、大根を切る時間だけは単調な作業ゆえか“没頭”に隙が出来、脳内に「大根を切ってる自分」と「こんな感情に苛まれている自分」という2つの素材がマッチングしてしまい、涙が出た。涙を流しながら大根を切った。
そして今、先述のとおり、食い扶持をなくす危機にも現在進行形で面しており、半狂乱で叫びながらマンション前の通りを全裸で走りあらゆる家の外壁に飛び蹴りをくらわしたいような気分だ。
この記事を書き終わりたくない。書き終わってしまうと、ほかの「没頭できるもの」を探さないといけなくなるからだ。