そういえば”この日”の記憶に関してどこかにまとめて文字を書いたことがなかった。
いつか記憶が薄れてしまっても思いだせるよう、とりとめもなく、つらつら書いてみることにする。きっと長いだろう。
当時、私は大学生であり・就活生だった。
入学時より、3-4年はラクをしたいと決め込んでいた私は1-2年時に履修を詰め込み、その頃卒業までに必要だった単位は「ゼミ」のみとなっていた。
予てより、東京で就職をしたいと決めていた私は、両親とゼミの教授とゼミメンバーに恵まれ、週1回のゼミの時間にはSkype参加を許可され、東京でマンスリーのマンションを借りて就活していたのだった。
なので、本来熊本にいたはずの私がこの3.11の片鱗を当事者として味わうことになったわけでもある。
住んでいたのは千歳船橋。
新宿から小田急線で一本だ。下北沢の、4つ後。
本震のときには家にいて、ちょうど母親と何かの電話をしている頃だった。電話の最中に大きめの揺れがあり「お~~なんか揺れたわ・・・」と言ったそのあとに本震。「あれ?!なんかコレスゴイやつだけど!?」と電話口で騒いだ記憶がある。備え付けの冷蔵庫の上に置いていたキャンディだかお菓子だかが、床に散らばったような記憶が、ある。
これまで味わった地震の中で特大級だったことは確かだったものの、これだけ大きければ東京が震源地であろうし、そしてなにより揺れはおさまったので一件落着。くらいに思っていたのだが、のちにテレビであの津波のシーンを見ることとなる。
それからはしばらく、救助なのか報道なのか、ヘリコプターの音が続いていた。
私は外に出て、近くにあった神社でなにか少し祈りたいような気持ちになりながら、ヘリの下を歩いてみたりした。
不幸中の幸いだったのが、期間限定の上京だった私には実家から送られてきた食料がダンボールいっぱいにあって、のちにスーパーやコンビニの棚から食料品が消え去っている様子を目の当たりにするのだが、食料が手元から尽きる・という状態に陥ることはなかった。
もうひとつ記憶に残っているのが、本震の翌日の話。
福島が大変なことになってることはニュースで散々見ていたし、東京のテレビ番組も軒並み報道番組に差し替わっているしアナウンサーはヘルメットを着用してるし、ではじめてのこの”異様な光景”にどう向き合っていいかわからなかった。それこそこの3.11を経て今では、こういうときには”普通”こういう行動をすべきだ、とか企業対応はこうあるべきだ、などの予想がつくものだが、当時はことの重大さもふわふわしていた。
結局、私は本震翌日の朝、乗車率200%とも言えるくらいの満員電車に乗っていた。
そう、翌午前にお台場付近で面接があったのだ。
すごい世の中大変そうだし面接キャンセルにならないかな・・・?でも”東京の被害”と言われると電車は動いているわけだし・・・、キャンセル連絡来てないから、私が行かなかったらすっぽかしになって面接不合格扱いになるのかな?などいろいろと・無い頭で考えた結果、私はリクルートスーツを着てこれまでにない満員電車で身体を斜めにして揺れていた。
今であれば、こんな震災の後は企業は必ずコンプラや風評を気にした対応(つまり面接日程のキャンセル)を行うはずで、最初から「今日の面接はないだろ。あったとしても、行かなかったことを後日考慮してくれるだろ」とこちらも勝手に判断できるのだが、当時はその塩梅が企業にも私にもわからなかった。
結局、ゆりかもめに乗り換えるか、といったところの車中でメールに【本日の面談について】といったタイトルで日程延期の旨が届いた。通常より3倍ほど時間をかけてここまできた道を、ただただまた往復して帰るのか、という疲弊だけが残った。
ちなみに、私の面接は12日だったわけだが、11日に同会社で面接だった就活生軍団もいたわけで。
11日、面接に行くはずだった企業の入ったビルの屋上で火災が起きていた。そして就活生も含めたいわゆる「帰宅難民」が生まれ、そのビルで寝泊まりをしたり徒歩で、動いている電車の駅まで向かった人もいるとニュースで見て「ああ、1日ズレていたらあそこに私はいた」と思った。
心配した熊本の友人たちからはダンボール1箱の食料が届いた。感謝。
住んでいたマンスリーマンションの壁には縦に1本亀裂が入っていた。
崩壊したりしないだろうかすこし不安になった。
そこからはポポポポーンのCMなどもう見飽きた公共広告機構の記憶しか残っていないが、この本震と翌日の記憶だけはわりと鮮明に今でも残っている。結局、故郷でも大震災がのちに起こることとなるのだが、私はこの3.11の記憶を「他人事」ではなくたった片鱗でも・一瞬でも「当事者」だったことが、今でもこの日を迎えると身体が少し重くなる・そして”思い出し・考える”機会を色褪せずに持たせているのだと思う。
あのちっぽけで壁の薄いマンスリーマンションで迎えたあの日を、忘れないようにしたい。
あの日、海に眠った被災者も、海に大切な人を奪われた被災者も、現場で身を粉にして働いた人々にも、これからの道が光で溢れるようにと思いながら、某検索サイトで3.11を検索・募金するちっぽけな私。